みなさん、こんにちは。「禅僧が禅語で語る、感謝とは?」 前回は「縁起」という禅語から感謝について考えてみました。Vol.2では、「大いなる哉(かな)心(しん)や」という禅語から考えてみたいと思います。
02.大いなる哉心や
突然ですが、心はどこにあると思いますか? 自分で指をさしてみてください。ほとんどの人は、頭か胸のあたりを指さすでしょう。しかし、この禅語にある「心」とは、もっと大きな無限の世界、「仏の心」をさしています。英語でいうと「Something Great」。人智を越えた存在、とでもいいましょうか。ここに、臨済宗の開祖、栄西禅師が記した『興禅護国論』序文「大いなる哉心や」の一節をご紹介しましょう。
天の高きは極むべからず、しかるに心は天の上に出づる地の厚きは測るべからず、しかるに心は地の下に出づる日月(にちがつ)の光はこゆべからず、しかるに心は、日月光明の表に出づる大千沙界(だいせんしゃかい)は窮むべからず、しかるに心は大千沙界の外に出づるそれ太虚(たいこ)か、それ元気か心は太虚を包んで、元気を孕(はら)むものなり天地は我れを待って覆載(ふさい)し、日月は我れを待って運行す四時は我れを待って変化し、万物は我れを待って発生す大なる哉、心や
ここにはつまり、「心とは何か」ということが書かれています。私たちは空を飛ぶことはできない、過去にも未来にも行けない。肉体は制限されたものであるのに、心は万物を越えて行くことができる。太陽や月の光よりも、心の輝きはそれをしのいでいる。仏の心とは、果てしない宇宙よりも、それを超える無限の存在なのである。私たちは、誰もが仏の心(性質)のカケラを持っています。その偉大なる心、Something Greatの中で生きていることの有り難さ。前回、縁起、ご縁がつながることへの感謝についてお伝えしましたが、もう少し広く意識を向けてみると、感謝すべき対象は万物を越えて無限に広がる自由な「心」です。大いなる世界の中で私たちは泳いでいるのです。誰もがその中で生きている、ということに気づいてみましょう。その気づきこそが重要なのです。
向井真人 (むかい・まひと)さん臨済宗妙心寺派 長光山陽岳寺 副住職 1985年東京生まれ。2010年、禅寺である円覚寺専門道場から、深川の陽岳寺に移る。同年副住職に。門前仲町にあるお寺で坐禅会やヨガ、お茶の会などを定期的に開催。お寺ボードゲーム「御朱印あつめ」「WAになって語ろう」なども企画製作している。 「臨済宗妙心寺派 長光山陽岳寺」住所:東京都江東区深川2-16-27 TEL:03-3641-1580 アクセス:地下鉄メトロ東西線・都営大江戸線「門前仲町駅」より徒歩3分 ※ゲームの会やお茶会などのイベント情報は、ようがくじ「不二の会(ぷにの会)」
禅僧が禅語で語る、感謝とは? Vol.1 「縁起」--禅語とは何でしょう? Vol.2 「大いなる哉心や」--心はどこにあると思いますか? Vol.3 「食事五観文」--食に向き合うこととは?image/shutterstock
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