SPORTSカテゴリーでは、「元アスリートの意識改革」をお届けします。結果を出してきたアスリートが、現役時代を振り返り意識が変わったターニングポイントは何だったのか?引退したいま、その意識はどう変化したのか。

vol.5でお話を伺うのは元テニス選手の杉山 愛さん。はたから見れば、現役時代にあらゆる大会で数々のタイトルを獲得(実にツアータイトルだけでも44個!!)するなど、女子テニス界を牽引したレジェンドです。そんな彼女でもアスリート時代にスランプがあったと言います。その時どう乗り越え、どのように意識が変わったのでしょうか。

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杉山 愛の言葉

「年齢を重ねていくと、時には哲学的に自分について考えることが大切になる。でも、現役時代のスランプを機に自分自身と向き合う術を身に付けることができたからこそ、引退した今でもあらゆることを乗り越えられると思う」

ボールが怖い。自分自身を見失うほどの重症でした。

sugiyama_01.jpg――杉山さんは10代半ばにして大きな注目を集めました。当時はどんなことを考えていたのでしょう?

杉山:実は私、キャリアの途中まで"壁"にぶつかったことがなかったんです。15歳でジュニアの世界ランキングで1位になって、高校2年生でプロに転向して、オープンカテゴリーにチャレンジして......。若さの勢いもあったし、もともと楽観主義なので不安に感じることも全くありませんでした。それが、プロとしての前半のキャリアです。本当にあっという間でしたね。オープンカテゴリーの世界ランキングもトップ30、トップ20と順調に伸びていきましたし、とにかくテニスが楽しかった

――ジュニアカテゴリーとはいえ世界ランキング1位。当時15歳だったことを考えると、「私、めっちゃ強いかも!」と調子に乗ってしまっても不思議ではない気がします。

杉山:いえいえ全然(笑)。ただ、プレーヤーとしての成長は確かに実感していました。そうそう、高校1年生の時、ある先輩とインターハイで2年ぶりくらいに対戦したんですよ。その試合、私はいともあっさりと勝ってしまったらしくて......というのも、実は、その試合のことを全く覚えていないんです。

これは母から聞いた話なんですが、先輩は負けてしまったにもかかわらず、コートの出口で私を待っていたそうで。その光景を不思議に感じた母が「どうして(待っていたの)?」と聞くと、彼女は「2年前に対戦した時から飛躍的に成長していたから、どうしても話してみたかった」と答えてくれたという話でした。たぶん、当時の私はすごい勢いで成長していたんだと思います。でも、私自身は全く満足していなかった。だから、ジュニアの世界ランキングで1位になっても、どこか冷めていたところがあって。

――どうして「冷めていた」のでしょう。

杉山:自分の目指すところが"ジュニア世界一"ではないと分かっていたからだと思います。同世代のライバル、例えばフランスのメアリー・ピアースやブルガリアのマヌエラ・マレーバは、ジュニアの試合には出ず、既にオープンカテゴリーの第一線で活躍していました。つまり、私が手にした"ジュニア世界ランキング1位"は、実質的な1位ではなかった。

――それでも1997年には引退した伊達公子さんに代わって日本ランキング1位となり、1998年には全豪オープン・シングルスで4回戦進出。1999年の全米オープンでは、インドのマヘシュ・ブパシ選手と組んだ混合ダブルスで優勝しました。

杉山:勢いで成績を残せたのはそこまででした。25歳になる2000年、初めての大きなスランプに陥ってしまって

――どのような状態だったんでしょう?

杉山:本当に、ボールの打ち方も分からなくなってしまうくらい。飛んでくるボールが怖い。体に力が入ってしまって全く打てない。目指すべきテニスが分からない。自分自身を見失ってしまうほどの重症でした。

たぶん、それまでの私は、自分の弱点を見て見ぬふりをしていたんだと思います。何かのきっかけでそれに直面して、そのまま自分のテニスも自信も喪失して、負のスパイラルに入ってしまった。気がついたらどん底でした。初めて「テニスをやめたい」と思いました。

私はやりきっていない。やりきらなきゃいけない。

sugiyama_02.jpg――スランプの原因はどこにあったのでしょう? 勢いとはいえ、すでに世界トップレベルで戦っていたことを考えれば、技術的なことではなかったのではないかと。

杉山:たぶん、その時点での実力、つまりひとつひとつ技術が、どれをとっても確立されたものではなかったと思うんです。何かのきっかけでそのうちのひとつが崩れてしまうと、すべてが一気に崩れてしまう。

――世界トップレベルで戦うためには、中途半端な技術だった。

杉山:そのとおりです。だからメンタルが崩れて負のスパイラルに拍車がかかり、手のつけようがありませんでした。若い頃は、自分自身と向き合い、自分の実力を客観視することができませんでした。成績や勝敗のことしか考えていなかった。それって、本当の意味での"プロ"ではないんですよね。精神的にものすごく幼かったと思います。

――当時25歳。どのようにスランプを克服したのでしょう。

杉山:それまで"チーム愛"のリーダーとして支えてくれていた母に相談しました。「先が見えないからテニスをやめたい」と。母には「ここでやめたら、何をやってもうまくいかない。あなた、本当にやるべきことをやりきったの?」と言われて、めちゃくちゃ落ち込みました。でも、そのとおりだったんです。私はやりきっていない。やりきらなきゃいけないと思いました。

ただ、あまりにも状態が悪すぎて、何から手を付けていいのか全く見えませんでした。それなのに、母は「私には見えるわよ」と(笑)。だから、母にコーチをお願いしたんです。それからは初心に戻って、全面的に大改革しました。すべてを変える覚悟でやり直しました。母の「見えるわよ」という言葉を信じて、暗いトンネルの中を手を引っ張られながら進むような感覚で。それが半年くらい続きました。

――"母と子"から、"コーチと選手"の関係になった。

杉山:それまでの関係性とは、ガラリと変わりました。私は変わらなきゃいけない。母はコーチを引き受けた以上、私を変えなきゃいけない。2人とも相当の覚悟だったと思います。でも、私の覚悟が足りずに衝突してしまうこともあって、そんな時はいつも「アンタ! 私は家族みんなを置いてきてるのよ!」と怒鳴られました(笑)。当然ですよね。父はもちろん、6歳下の妹を日本に残して、ほぼ1年中、私と一緒に世界を転戦しているんですから。

そういう関係を通じて、精神的に成長したと思います。アスリートとしても、人間としても。ようやく自分自身と向き合えるようになった気がしました

――技術的にはどのような変化が?

杉山:見る人が見れば、打ち方ひとつとっても、毎週のように変わっていました。私がもがいていることは、選手たちも理解していました。だから、みんなが気を遣って声をかけてくれるんです。「すごく良くなったね」って。

――コートの中ではライバル。でも、コートを出れば仲間でもある。

杉山:本当にそう。みんなに勇気づけられましたし、助けられました。ライバルと言っても一緒に世界を転戦するので、自然と仲のいい友だちができるんです。私の場合は、ダブルスを組むこともあったキム・クライシュテルス(ベルギー)やダニエラ・ハンチュコバ(スロバキア)がそう。彼女たちは、今でも連絡を取り合う親友です。

私にとって、ダブルスは"本線"ではありませんでした。それでも成績を残せたのは、ペアを組んでいたのが心から理解し合える親友だったから。「楽しい」と思えたからこそ、力を発揮できたんだと思うんです。

自分自身と向き合うことで、乗り越えられた。

sugiyama_03.jpg――2003年と2004年はシングルスもダブルスも世界ランキングのトップテン。まさに全盛期でした。

杉山:スランプ"以前"と"以後"の私は全くの別人ですね。最も大きく変わったと感じるのは、自分の持っている力"以上"のものを出せるようになったこと。

テニス選手としての私は、能力的なことを言えば決して"平均以上"ではありませんでした。ツアーに出れば、私と同じくらい打てる人はたくさんいます。パワーもたいしたことないし、スピードはあったけど、スペシャルではなかった。そう考えると、私、キャリア後半は120%以上の力を出せたと思うんです。前半は50%くらい。だから、前半と後半の違いは倍以上ということになりますね。

――前半から後半へ、"生まれ変わった"と感じた試合は?

杉山:2003年のステート・ファーム・クラシック(アメリカ)という大会で、ツアー5年ぶりに優勝した時。スランプを感じてから2年半くらいが経過した時で、シングルスもダブルスも優勝することができました。シングルスではリンゼイ・ダベンポートに勝って、決勝ではダブルスのパートナーであるクライシュテルスに勝って、久しぶりに世界ランキングのトップ20に返り咲くことができました。この大会で、「やってきたことは正しかったんだ」と実感しました

実はこの大会、準決勝の日に雨が降ってしまったんです。それによってシングルスとダブルスの日程が重なってしまい、シングルス準決勝、シングルス決勝、ダブルス準決勝、ダブルス決勝と、たった1日で4試合もこなしてしまった。もう、アドレナリンが出過ぎて何がなんだか分からない状態でした(笑)。本当に、心技体が充実した1日でした。

sugiyama_04.jpg――2004年、世界ランキングは自身最高の8位にまで上昇しました。しかしこうして面と向かうと、決して大柄でもなく、むしろとても女性らしい杉山さんがそこまで到達できたことが改めてすごいなと思います。

杉山:大切なのは、自分の強みを知ることだと思うんです。私の場合はフットワークや反応の速さ、ボールを捉えるタイミングの良さがそう。スランプを通じてそれを知ることができたし、さらに強化して世界と戦えるストロングポイントとするために、誰よりも長くジムでトレーニングに励みました。身体と心と向き合あった時間は、スランプ以降は誰よりも長かったという自負があります。

でも、その作業がとても楽しかったんです。自分の力をどうやったら120%まで引き出せるか。それを考えてトライすることにやり甲斐を感じていました。自分自身と向き合うことって、すごく難しいですよね。でも、年齢を重ねるほど、時には哲学的に"自分"について考えることが大切になる。実は、引退後は胸にぽっかり穴が空いてしまうような時期もあったんですよ。でも、自分と向き合う術を知っていたからこそ、乗り越えることができた。

――現在は指導者や解説者としてだけでなく、タレントとしても、さらに妻としても母としてもご活躍されています。引退から8年経った今、ご自身のキャリアを振り返って思うことはありますか?

杉山:本当に最高のキャリアでした。私、素直に「これ以上はない」と思えるんですもしプロになる直前の自分に教えてあげられたら、めちゃくちゃ喜んじゃうと思いますよ(笑)。

始めたばかりの頃からずっと、テニスが大好きなんです。このスポーツに出会えたことに、心から感謝しています。

sugiyama_book.jpg杉山 愛

1975年生まれ。4歳からテニスをはじめ、15歳でジュニアランキング(ITF)1位に。SWTA自己最高ランキングはシングルス8位、ダブルス1位。キャリア通算ツアー獲得タイトルは44個。日本人初となるWTAダブルスランキングで世界1位の獲得。グランドスラムでの優勝4回は日本人として最多記録(2017年11月現在)。2009年の現役引退後は、結婚、出産を経て、テニスの普及活動をする傍ら、日本テレビ系列で放映中の情報番組『スッキリ』や『ミヤネ屋』にてコメンテーターとして出演中。また現在発売中の著書『杉山愛の"ウィッシュリスト100" 願いを叶える、笑顔になる方法』(講談社)も発売中。

写真/佐山順丸 文/細江克弥 撮影協力/バビーズ汐留(東京都港区東新橋1-5-2 汐留シティセンターB2F TEL:03-6274-6857)