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シンクロは私にとって人生そのもの〜元シンクロ選手・青木 愛

元アスリートの意識改革

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シンクロは私にとって人生そのもの〜元シンクロ選手・青木 愛

SPORTSカテゴリーでは、「元アスリートの意識改革」をお届けします。結果を出してきたアスリートが、現役時代を振り返り意識が変わったターニングポイントは何だったのか?引退したいま、その意識はどう変化したのか。vol.3でお話を伺うのは青木 愛さん。シンクロナイズドスイミングの日本代表として活躍し、北京オリンピックではチーム種目で5位に入賞していますが、意識改革が起きたきっかけは何だったのでしょうか。

* * *

青木 愛の言葉

「しっかりとした大きな目標を掲げて、具体的な細かいタスクに落とし込んでいけば、壁にぶつかったとしても初心に返って乗り越えることができる」

シンクロから少し距離を置いた経験が後の糧に

aokiai_01.jpg

――青木さんにとって、意識が変わるような転機はありましたか?

青木(以下、敬称略):大きな転機は、代表に入って1年目の時。肩を故障してしまって代表を辞退しなくてはならなくなったんです。

――その時には何を意識したんですか?

青木:毎年、代表の選考会があるんですが、次の選考会で絶対に代表に返り咲こうと思ってひたすらがんばっていました。その結果、代表には戻れましたが、補欠の時期もあり、その時はメンバーに入ることを目標にしていました。

試合に出るメンバーは8人ですが、全員がまったく同じ動きではないので、いつ誰と交代してもすぐ対応できるように準備。細かい違いがあるので、8通りの練習をしていました。補欠はそれをやるのが当たり前だと思っていましたので。

――それはすごい! ある意味、他のメンバーよりも大変ですよね。心が折れたりはしなかったんですか?

青木:それはなかったですね。ただ、いろいろ考えることがあり、高校生の時に一度、シンクロから少し離れた時期がありました。

――でもその後、シンクロに戻ったんですよね? それはなぜですか?

青木:友だちと遊んだりしていたのですが、ぜんぜん楽しくないなぁって。そんな時、シンクロをしてないから楽しくないんだって気付いたんです。いま思えば、シンクロが好きな自分に気づく良いきっかけになりましたね。

――離れてから大切さに気づくことってありますよね。

青木:それを高校生の時に経験してるので、代表で補欠だった時も心が折れて辞めようということにはならず、大好きなシンクロに打ち込むことができました。

――高校生の一件以来、辞めたいと思ったことはないんですか?

青木:もちろん、気持ち的な波はいろいろありましたよ。でも、落ち込んで何もしないのは時間がもったいないっていつも思っていました。オリンピックに出ることがシンクロを始めた時からの夢だったので、それを叶えるまでは辞めたくないと思い続けていました。

優しいお姉さんに憧れてシンクロを始め、自然とオリンピックを意識

aokiai_02.jpg――シンクロでオリンピックに出場したいという夢はいつ頃から?

青木:そもそもシンクロを選んだのは偶然なんです。生後10ヶ月から健康のために実家の近所のスイミングスクールに通い始めていたんですが、そこがたまたま京都で唯一シンクロコースがあるスクール。小学校2年生で競泳、シンクロ、水球という3つのコースにわかれるんですが、当時よく遊んでもらっていたお姉さんがシンクロだったので、それでシンクロを選びました。

そのお姉さんたちの中にオリンピックに出場した経験のある方がいたりと、オリンピック選手がわりと身近な存在だったんだと思います。そういうこともあり、気づけば自然とオリンピックを目指すようになりました。

――幼いころに大きな夢を持つ人は多いと思うんですが、そこに到達できない人がほとんど。青木さんはどうして夢を叶えることができたんですか?

青木:とにかく負けず嫌いなんです。1度決めたことはやり抜きたいという意識がありますし、途中で諦めて投げ出したら自分に負けることになるので。中途半端がイヤなんです。

――もしかして、京都弁を貫いているのも、東京者には負けないという負けず嫌いからですか?

青木:それはまったく違います(笑)。直そうと思ってもなかなか直らなかっただけですよ。

――話が逸れましたね(笑)。オリンピック出場という夢を持った負けず嫌いだから、ストイックにシンクロを続けられたということですね?

青木:ストイックと言っても基本的には練習嫌いでした。でも、練習しないと上手くならないからとにかく練習していました。オリンピックに出たいという一心です。嫌いでも練習をしないと絶対にオリンピックには出られませんから。

それに母が厳しかったこともシンクロを続けられた理由です。高校生の時以外にも辞めたいと思ったことはあり、そんな時に何度か家で愚痴をこぼしたことがあるんですが、その度に「自分で決めたことは最後までやりなさい」、「団体競技なんだから人として周りに迷惑を掛けてはダメ」と、厳しく言われていました

その母をオリンピックに連れて行くと約束したんです。小さい時だけではなく、A代表に入った時も。その約束は本当に果たしたいと思い続けていました。

――2008年に北京オリンピックに出場できたわけですが、夢が叶った時はどんな気持ちでしたか?

青木:実際にオリンピックに行けると決まった時に、うれしさはまったくありませんでした。それまでにも世界選手権やワールドカップで日本代表として試合には出ていましたが、オリンピックは誰もが知っていて注目される大会ですし、やはりプレッシャーの大きさが違いましたね。夢が叶ったというよりもスタートラインにやっと立てたという気持ちでした

aokiai_04.jpg――その北京オリンピックは5位入賞という結果でした。オリンピックを終えて考え方に変化はありましたか?

青木:メダルが取れなかったので悔しかったですね。夢が叶ったというよりも、ただただ悔しいという思い。あの時の悔しさはいまでも消えません。

――そこまで悔しさがあると、次のオリンピックでリベンジしたいと考えてもおかしくありませんが、すぐに引退した理由は何だったんですか?

青木:母が病気だったのは大きな理由のひとつです。最期まで母のそばにいたいと思ったんです。

――次のオリンピックに出たいという心残りもあった?

青木:それはまったくありません。メダルは取れませんでしたが、力は出し切ったので、それが自分たちの実力だと思っていました。

それに、先輩たちがいないなら続けるのは無理だと思いました。北京オリンピックでは私が最年少でしたが、代表に入った頃からずっと一緒にやってきた先輩方が、オリンピック後に引退すると決めていたんです。

私は北京オリンピックまで先輩たちの背中を見て、先輩たちに引っ張ってもらってやって来ましたので、目標とするものがないとがんばれない性格というか、燃えないタイプ。メンバーが入れ替わって自分が引っ張る立場になるのは性格的に難しいと思いました。

――つい最近、あるテレビ番組で青木さんが小学生の姉弟を指導する姿を見ました。厳しい中にも愛がある指導のおかけで全国大会出場という目標をクリアして、思わずもらい泣きしました。後輩を引っ張る立場も向いているように思えますが?

青木:子どもへの指導は自分がやってきたことを教えるだけですが、後輩を引っ張っていくとなると、なかなか......。私の中では先輩の存在が大きかったんですよね。

――そういう先輩の支えも大切だったんですね。

青木:そうですね。ただ先輩だけでなく、親やスタッフ、みんなに支えてもらってきました。誰か1人が欠けても成り立たないんです。シンクロはみんなが揃ってないとダメ。

シンクロを続けてこれたから今の自分がある

aokiai_03.jpg――シンクロを続けてきて学んだことはありますか?

青木:目標がしっかりしていれば、どんなに厳しいことでも乗り越えていけるということですかね。何回も挫折しかけましたが、オリンピックという最終目標があったからたどり着くまでやり抜けたんだと思います。壁にぶつかった時、周囲からもアドバイスはもらいましたが、常に自分の中で一度初心に戻理、目標のために何をしたらいいのかを考えて次へ進むようにしていました。とにかく、目標を立てることが大事だと思います。

――わかっていても実践するのは難しいですよね......。

青木:オリンピックが目標、そのためには次の大会で優勝する、優勝するためにはスピンを10回中10回できるようにする...という感じで細かく日々の練習に落とし込んでいました。できなかったことはその日の夜に振り返って明日はできるようにしよう......そうやって練習を積み上げることで目標に届いたんだと思います。

――なるほど。ちなみに今の目標は何ですか?

青木:毎日の目標は、楽しく生きること(笑)。当面の大きな目標は、2020年の東京オリンピックでシンクロや他のスポーツに携わる仕事をすることです。

――これからもシンクロに関わっていくんですね。

青木:シンクロは私にとって人生の一部というか、人生そのもの。シンクロをやってなかったら今の仕事もできていないわけですし、シンクロがなかったら今の自分じゃないですね。(シンクロは)なくてはならない存在なんです

――では、生まれ変わってもまたシンクロをやりますよね?

青木:やらないです(笑)。また戻って厳しい練習をやるのは......。

――えっ!? そうなんですか? 意外な答えですね(笑)

青木:でも、シンクロは大好きですよ。

青木 愛

1985年5月11日生まれ。京都府出身。幼少の頃から地元の名門「京都踏水会」に通い、8歳でシンクロナイズドスイミングを選択。ジュニア五輪で優勝した後、中学2年から井村雅代氏(現在の日本代表ヘッドコーチ)に師事する。20歳で世界水泳の日本代表に初選出されたが、ケガによって離脱。その後も補欠となっていたが、北京五輪代表の選考会で出場メンバーの座を奪還。欧米の選手たちに勝るとも劣らない恵まれた体格と容姿でチーム演技の軸と評された。引退後は数多くメディアに登場し、シンクロだけでなく幅広いスポーツに関わっている。

写真/高橋健太郎 文/平 格彦(pop*)

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