日本では何かにつけて「ゆとり世代」がフォーカスされる近頃。世代間において考え方や行動にギャップが生まれやすいのは当然のことながら、じつはこれが日本に限ったこととはいえないように思います。

ドイツの「ゆとり世代」の恋愛観とは

ドイツの書店、アマゾンで現在ベストセラー入りしている本。それが女性誌でコラムニストとして活躍するミヒャエル・ナスト氏著『Generation Beziehungsunfähig (「恋愛できない若者たち」)』です。

国民の3分の1がシングル人口のドイツにおいて、特に20代・30代の若者がいわゆる「草食系」とも呼ばれる傾向を指し示すのはとても興味深いところ(シングル人口のうち、70代以上の死別して独り身になった層の次に多いのが20歳から29歳で、15.2%を占める)。

その要因のひとつとして「ガツガツした恋愛至上主義者はかっこ悪い」という考え方があります。カップルも「喧嘩するとすぐにあきらめて別れてしまう」人が多く、自分の事で精いっぱいで、人との「こころの領域」がわからないところに特徴があるのだとナスト氏は述べています。40歳の彼は、女性の気持ちに通じた一人として、世の男性はどのように上手くやっていけばよいのかを説いています。

しかしながらハウツー本のような押しつけがましさはなく、むしろそんな時代や人の気持ちの流れも含んだ上で、すべてを容認する派。今まで自身が重ねてきた恋愛経験から学んだ「女性とは」「男性とは」のあくまでも主観的意見から話は進んでいきます。

「愛」よりも、壊れない「友情」が欲しい

もうひとつの顕著な点がドイツ人男性のシングルは納得している人が多いという事実。女性に限っては理想が高すぎるか、日本でいうオネエ、いわゆる「ソフティー」と呼ばれる男性を探している傾向があるのだと言います。

傷つくのが怖かったり、人とかかわるのが面倒だったり、誰かとの間に「不快感」が発生することを恐れるが故に壁をつくってしまうのが理由なのだそう。そこには必ずといっていいほどセクシャリテイ―が関わってきます。

「友情」が「愛情」に変わるということは、とても複雑なプロセスを歩くことを意味します。たとえば誰かを「愛する」時には少なからず金銭的なファクターもかかわってくることも避けては通れないでしょう(プレゼントしたり、結婚したり等)。

友情と愛情って、互いにとって変われるものなのだろうか? そんな面倒くさいこと抜きで、ただ誰かと魂のレベルで深く信じあっていたい、つながっていたいと思うとき「愛情」よりも損得抜きの「友情」の方がもしかしたら好都合なのかもしれません。人間同士の適度な距離感というのは、同性・異性であっても非常に難しいと感じます。親密度が増すとよろこびと同時に憎しみも増すことの心理的相関や、また距離感が近すぎるカップルと「倦怠期」についての関連記事も良く目にします。

ドイツにおけるゆとり世代の恋愛関係はまるでコインの「表と裏」。人を寄せつけないように見えて、もしかしたら一番深い愛情を欲しているのかもしれません。

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