子どもたちが、会話のなかでなにげなく使う言葉にドキッとしますときに、かなり面白くて吹き出しそうになりますが、ぐっと笑いを押し込んで会話をさえぎらないようにします。

たとえば娘の場合、指切り玄米」。これは最近、「げんまん」だとお友だちに正されてしまったのですが、長い間「玄米」でした

それから、「知らんぷりん」。これも「ぷりだよ!ぷり!」と直されていましたが、「プリンが好きだから、ぷりんでもいいじゃん!」と開き直り、自分語録として認定したようです。

「野犬」を「やーけん」と言い、「渋滞」を「じえいたい」と言います。一応ツッコミは入れますが、新鮮な面白さです

息子の方もなかなかいいことを言います。ある夜、縁側でぼーっとしていた息子が「お母さん、今、蛍に写真撮られた! ピカピカって2回光った!」と大喜びしてました。さすがに息子は9歳なので、「蛍は写真を撮らない」ということは知っていますが、そのたとえがなんともいいなぁと感じてしまいました。

ほかにも、ある朝、「すごいことしちゃった! 僕がコケコッコーって言ったら8時の鐘がなった!」など、純朴で子どもらしい言葉です。

そんなある日の兄妹の会話……。

妹「もうこのレゴ、ぜんぜん私の気持ちをわかってくれない!」
兄「 だったら多実(妹の名前)は、レゴの気持ちわかるの?
妹「わかるよ。レゴは私にだいじにして欲しいって思ってるの」。

この春から小学校に通い始めた娘ですが、学校での出来事も彼女の言葉で聞くとハッとすることが多いです。

ある日も文字の宿題ノートをぺらぺらとめくりながら、「多実は、ぜんっぜん上手に書けてないと思うのに、先生はいっつも『花マル、100点!上手!』っていうの。もっと上手に書きたいって思ってるのに、いっつもなの」と不服そう。これはわたしも、ままあることなので、ちょっと気をつけようと思いました。

こんなふうに、子どもの視点になって見ることをつい忘れがち。「ほめて伸ばす」とはよく聞く言葉ですが、ちゃんと気持ちと向き合っていないとなぁと感じてしまいました。率直な子どもの心の前では、こちらも正直に、そしてフェアにならないと簡単に見透かされます。子どもだからって騙せやしません!笑。

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