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生命はすべて自然なままの状態で力に満ちていて平穏であるということに、私は気づいたのでした。そして、これは何も苦労して探し見つけるようなことではないのです。すでにそこにあって、皆が必ず楽しむことのできるものなのです。

(『ヨーガの真実』マーク・ウィットウェル 産調出版P13)

夏が近くなってくると、雑誌などでダイエットに関する企画がよく目につくようになります。私も、ときおり自分の体がもっとこんなだったら(おっぱいがもっと大きかったら、とか、お尻がもう少し上がっていたら、とか)、と思うこともあります。でも、それと同時にこのままでいいなあ、とも思うのです。規格化された美しさに自分を合わせるために躍起にならずとも、人はどんな姿形であれ、その人らしい美しさを備えていると思うからです。

それに、痩せるため、美容のため、あるいは健康のため、に何かを食べたり食べなかったりしているとき、私はその状態を楽しめないなあと思うのです。それは、自分の内側から湧き出る欲望ではなく、誰かが作ったものさしに自分を合わせようとして、今の食べているという行為を楽しんでいないから。

もっと健康に、もっと脚をほそく、もっと髪をつややかに、もっと、もっと……。私たちは、体だけでなくキャリアや精神面など、心身ともに今の自分ではなにかが足りない、と思って努力をします。でも、ヨガでは、何かを新しく得なくても、人はそのままで美しくエネルギーに溢れていて完全である、と考えます。

食べる、あるいは食べない、という選択をする時、それが自分の自然な欲求からくるものなのか、あるいは、なにか誰かが作った価値観に基づくものなのか。食事のときにちょっと立ち止まって自分を見つめてみると、新たななにかが見えてくるかもしれません。

今日食べたもの:おいなりさん

ちょっと忙しくなりそうでごはんを作る余裕がなくなりそうだな、というとき、作りおきしておいて、お腹が空いた時に食べられるものを用意しておきます。おむすびや、のり巻き、そしておいなりさんなどが定番です。この日はおいなりさん。おいなりさんをつくるときは、なぜか少量ではなく多めに作りたくなってしまうのはなぜなのでしょう。母も大量に作っていたのでその影響かもしれません。

ごはんをかために炊き、お好みの酢飯にします。白ごまもたっぷり入れるのが香ばしくて私は好きです。油揚げは半分に切って中を開き、熱湯で油抜きをしておきます。お砂糖お醤油で甘辛く煮て、酢飯を詰めてできあがり。油揚げを煮る時にほったらかしにしすぎて鍋の底のほうにあるものの色が濃くなってしまいましたが、家で食べるものなので、よしとしましょう。

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