熱川館へ婚前旅行。シャイな彼も伊豆の海と空に感嘆
「本当にその人でいいの?」
母の妹、つまり陽子の叔母さんが縁談のことで心配してやってきた。
数人目のお見合い相手で10歳年上のサラリーマンと4.5回デートして結婚を決めたことに、叔母さんは不安らしい。
「結納を収める前に、二人で旅行いってみたら。はい、これ」
叔母さんは伊豆熱川温泉の熱川館の宿泊割引券を差し出した。
「伊勢海老を食べながら温泉に入って、伊豆の美しい海をその男性と一緒に見て御覧なさい。男性のこともしっかり見てね」。
叔母さんの気遣いに陽子は感謝した。
大学時代に、自分は恋愛向きじゃないと陽子は漠然と感じていた。
美術系の大学は恋愛の百花繚乱だった。
くっついたり離れたり、友達の彼氏と恋に落ちたり三角関係を享受したりと、友達たちはフレンチ流の恋を自由に楽しんでいた。
でも陽子は恋愛で一喜一憂するよりも、堅実な相手と結婚して子どもを産んで家庭を作っていくほうが自分にあっていると思った。
デザイン会社に就職してからますます恋愛よりも結婚を意識することが多く、陽子はお見合いで交際した38歳の少し枯れたサラリーマンの及川と熱川館へと向かった。
直通特急「スーパービュー踊り子号」で東京を出発した陽子と及川が熱川館に到着したのは、夕暮れ前だった。
全室オーシャンビューで、東側の部屋に案内されると、春の霞色をしている伊豆の海と空の青さが一面に広がっていた。
「独り占めしたくなるような風景ね」と陽子。
「僕もいるよ」とお茶をすすりながら及川が珍しく主張するのが面白かった。
貸切風呂『椿』で檜の上品な香りに包まれて甦る過去の恋愛
叔母さんから勧められた『伊勢海老と地魚とズワイ蟹 海の幸満喫温泉旅物語』コースは、名物の伊勢海老を堪能するだけでなく「彼と話すのが嫌になったら、蟹を食べて黙っていなさい」という叔母さんからのメッセージだった。
及川が叔母さんのお勧めタイプではない、ということを陽子は知っている。
叔母さんから見ると及川は覇気のない男性、つまり優柔不断なのだ。
叔母さんの心配はわかるが、陽子は男性からあれこれ指図されたくないタイプなので、どちらかといえば口出しをする男性よりも、まだ覇気のないほうが楽だと思っている。
「夕食前に、お風呂に入りましょう」
陽子は貸切風呂『椿』に及川を誘ったが、及川は照れて、「君一人で入ってよ」と展望風呂へ出かけた。
陽子はピンクを基調にした浴槽の温泉に浸りながら、檜が香る上質で華やかな空間を楽しんだ。
自家源泉『八幡源泉』より引湯した温泉は、神経痛や肩こり、そして慢性婦人病によく効くという。
ふと過去の恋愛が甦る。
学生の頃、二つ上の先輩と京都を旅したことがある。
京都のホテルでささいなことで喧嘩をした。先輩は何事にもセンスのある男性で、モテるタイプだった。旅行中に先輩を好きな女性から電話がかかってきたことで、陽子はむくれてしまったのだ。
「嫉妬だったのね」
陽子は苦笑した。過去はすでに思い出。枯れている及川とは喧嘩にならないと安心した。
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伊勢海老と地魚とズワイ蟹の会席料理に、二人の会話が弾んで…




