ミュージシャン。'91年デビュー以降、国内外問わず数々の作品を発表、'98、'99全米ツアーも行う。NHKFMのパーソナリティー、連載コラムや映画コメント執筆、字幕監修なども手掛ける。近年、菊地成孔氏や大友良英氏らのセッションにも参加し話題に。'06年に映像作品「kochab」とアルバム「NUNKI」をリリース。'07年2月のツアーを皮切りに全国各所でのフェスやイベントに出演。7月にはライブDVD, 数々のアーティストと共演した楽曲を収録したコンピレーションアルバムをリリースする。
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先日、審査員という大変貴重な経験をしました。
ボンベイ・サファイアが若手デザイナーを支援する活動の一環として、世界的に開催している「Designer Glass Competition 2008」の日本大会の審査に参加させて頂いたのです。
これは、マティーニグラスのデザインを競う、学生を対象としたコンペティションで、決勝に残った5作品は、グラス工房で実際に制作をする事が出来、また優勝者は賞金授与とロンドンで行われる世界大会に進出することになります。

日本大会は今回で6回目だそうです。第一回大会から審査員を努めておられるデザイナーの吉岡仁さんと佐藤卓さん、そして今回2度目の参加となられた、建築家ユニット「クライン・ダイサム・アーキテクツ」のアストリット・クラインさんと共に、グランプリの選考をし、その後、公表やトーク・セッションなどがあったのですが、ファイナリストの皆さんをはじめ、ボンベイ・サファイアのスタッフの方々や審査員、そしてデザイン・アートに興味のある聴講者まで、その場におられた方全員が真剣にデザインについて考え、話し合うという、密度の濃いクリエイティブな空気が始終流れていて、本当に楽しかったです。初めお話を頂いた時は責任を感じて緊張しそうでしたが、始まってみると緊張も忘れてしまう位で、素晴らしいコンペテイションでした。
庭本卓実さん「amorous trace」
大池史門さん「Tutumu」まず「クリエイティビティ」「機能性」「ボンベイ・サファイアらしさ」「オリジナリティ」の4つのポイントを基準に採点表を作ることから審査を始めたのですが、どれも同じくらいの点数になっていました。その他に私個人が特に気にしたのは、実際にこのグラスでマティーニを飲んだとしたらどんな感じがするだろう、という感覚や気分を想像しながら選んでいった事です。
望月未来さん「masu」そして見事グランプリに選ばれたのは、望月未来さんの作品「masu」でした。「masu」というのは日本酒の升の事です。ガラスで升を作るというのは、かなり技術的に難度を要するということで、今回制作に携わられた菅原硝子工芸さんだけでなく、専務さんが遠方のガラス工房にまで足を運び、協力をして頂いたりなどして、やっと出来上がったのだそうです。ガラスは、鋭角に加工する事や、膨張性が低いので木製の普通に升のように組み合わせるのは難しいのですね。スタッフの力の結集で、とても美しい透明の升が誕生しました。
次に進む世界大会に向けての第一印象の力強さ、日本の伝統文化がルーツである角のあるマティーニグラスという、オリジナリティを感じる美しい作品ですが、反面、升を知らない異文化的にどういう印象で受け入れられるだろうか、などの意見も出ました。結果「もっと第三者の存在を意識したデザインを」という講評もあった上で、この作品が選ばれたのです。

世界大会でのディスプレイの仕方など、メイン審査員の吉岡さんと佐藤さんからの提案は、ただ審査をするというだけでなくて、将来のプロダクト・デザインやコンセプチュアル・アートを見据えて若い才能を支援していくという、デザイナーを育てていく暖かさを感じました。またそれは、ボンベイ・サファイアの理念でもある訳で、それを今回のイベントの空気でとても強く感じ、参加させて頂けた事を嬉しく思いました。
この「masu」を冷蔵庫でキーンと凍らせて、緑色のオリーブやハーブを入れて、冷えたマティーニを飲んだら美味しそう! ほしいなぁ。。
先日、病院に勤務している方からこんな話を聞きました。
ある日、その病院に一通の手紙が届いたのだそうです。
「いつも大変お世話になっている者です。それにもかかわらず、
このようなお手紙をお送りして申し訳ないのですが、そちらの
玄関の入り口の横にある段差でつまずく事が何度かあり、気に
なっております。どうにかして頂く事は出来ないでしょうか。」
という感じの内容で、名前はなく匿名だったそうです。
もし自分の名前を記入すると、逆に病院側が気を使ってしまう
のでは、という思いで、その手紙を書かれた患者さんは匿名にし
たのだろう、という話でした。それを聞いて、私は本当にしみ
じみ良い話だなぁと思いました。正しい「匿名の使い方」だなぁ
と思ったのです。
昔からある事だと思いますが、特にインターネットが普及して
からは、情報が氾濫して、不当に傷つけられる人や事件などが増
えているように思います。その原因の一つは、匿名の使い方を間
違える人が多くなったからではないでしょうか。
自分の為というより、相手の為に名前を伏せる、という心遣い
が出来たら、匿名も生きるのですね。
その手紙を書かれた方は年配の方であろうという事でしたが、
その話を聞いて思い出した事がありました。
私がまだ10代の頃、アルバイト先に、おまんじゅうをくれた
り一緒に立ち話をしたりして、とても親切にしてくれた、お掃除
のおばあちゃんがいました。ある日の夕方、冬でもう館内が暗く
なってきた頃、もう勤務時間は終わっているはずなのに、おばあ
ちゃんの影を見つけました。まだ一人残って掃除をしているので
す。私が電気をつけて、どうしたのかきくと「やりかけで帰るの
落ち着かないのよねー。」とおばあちゃん。アルバイトをしてい
た若者達は、私も含め、勤務時間が終わった瞬間にすごいスピー
ドで帰る勢いだったので、私は凄くハッとしてしまいました。
その後、一緒に荷物の移動をする事が一度あったのですが、男の
子が階段の踊り場で、「すんげえ重てぇ。ダメダ?」とヘタレて
いるのに、おばあちゃんは何と一気にその子を抜かして階段をス
タスタ・・。ほんとうに驚きました。あのパワーはどこからくる
のだろうと思ったけれど、よく考えると理由は分かる気がしまし
た。おばあちゃんは、”思いやる”という事をずっと大切に生き
てきたから、体もきっと強いんだなと思いました。
もう一つ、思い出した事があります。私の祖母です。
私がまだ6歳くらい、ほんとうにちっちゃい頃、祖母の家に時
々お泊まりに行けるのをとても楽しみにしていました。朝昼晩の
ご飯を運ぶ前に、テーブルの上を布巾で拭くのが私の仕事です。
いつも祖母に、「木目に沿って拭きなさいねー」と言われなが
ら、小さい手で背伸びをして拭くのが楽しみでした。ある冬の日
いつものテーブルはコタツに変わっていました。いつものように
布巾で拭きましたが、コタツの上に載っている板は木製ではない
ので、何となく端から拭きました。すると祖母は「木目に沿って
拭くのよー」といつものように。私はちっちゃいながらも、コタ
ツの板の年輪の模様はプリントだと分かっていたので、何でかな
・・と思いました。でも、何だか分かった気がしました。それで
祖母の事がもっと好きになったのです。
この3つの話は、一見関係ないようですが、私の中では共通
していて、私が昔から年配のひとばかりに憧れるのは、こんな思
い出が重なっているからなのだなあと思いました。そんな事を思
ったこの頃でした。
大好きな祖母といっしょに
先日の夜中、テレビで興味深い特集を観ました。NHKの「こ
だわりライフ ヨーロッパ」という番組です。
イギリスの南東部バッキンガムシャーに住む、視力を失った
写真家、ケン・キーンさんという人のドキュメントです。
キーンさんは、何度も写真のコンテストで入賞をするような
大変熱心なアマチュア・カメラマンでしたが、病が元で10
年前に視力を失ってしまいました。けれども、ケーンさんは
カメラを諦めずに、毎週写真好きの友人と一緒に愛用の大型
カメラをかかえて、撮影に出掛けるのです。
行き先は、古い修道院などの歴史建造物。風の流れや音で建
物の大きさや光の指す方向を判断し、頭の中で構図を書くの
です。またプリントも、紙に薬を塗って印画紙も自ら作って
いたりして、本当に楽しそうでした。
かすかな光をたよりにシャッターを押す。
イギリスはバッキンガムシャーの写真家、ケン・キーンさん現在、キーンさんは視覚障害を持った人たちへの写真指導など
もしています。番組の中で、若い生徒さんに直接大型カメラの
使い方などを教えるシーンもあったのですが、彼らは日常生活
で杖を使っているくらいなのに、撮った写真はやはり大変面白
いのです。
なので「視力を失っても、心の目で写真を撮る事は出来るので
す」という、キーンさんや生徒さんの言葉は、とても現実的で
力強く感じるのでした。王立写真家協会の昨年の写真集に、ケ
ン・キーンさんの作品が収められています。逆光や影などを見
事に掴み、建築物の質感も触ったときの温度まで感じそうな、
とても素晴らしい作品でした。
話は少し変わりますが、こちらも夜中にやっている私の好きな
番組”CBSドキュメント”で放送されていたもので、「心臓に宿
る記憶」というような特集を観た事がありました。
これは、心臓の移植手術を受けたあるアメリカ人女性の話なの
ですが、彼女が手術を受けて退院後、嫌っていたジャンク・フ
ードを好んだり、大股で歩くなど、食べ物の好みやしぐさ、言
葉遣いなどに大きな変化があったので、不思議に思った家族が
提供者(ドナー)の所在を探すことにしたのです。
図書館に保管されている新聞の記事から探し出し(その当時、
病院では臓器移植手術について、ドナーの情報は受領者に伝わ
らない様、様々な規則があったため)、ご家族に会ったところ
なんとドナーは交通事故で亡くなった少年で、その女性が移植
後に欲した食べ物などの好みが、生前の少年のそれと全く同じ
だったというのです。こうした話は科学的に説明が着かないに
も関わらず、とても多いのだという事でした。
脳にだけではなく、私達の心臓の細胞にも記憶は宿っているも
のなのでしょうか。その答えは今の医学界ではまだ出ていませ
んが、私は、心で考える」という事を、この番組を観た時に考
えました。
昔から、「胸に手を置いて考えなさい」などと言う事がありま
すが、もし心臓の細胞に記憶が宿るものならば、私達は「心臓
で考える」という事もしていたりしないだろうか、と思ったの
です。その答えももちろん分かりませんが、そんな事をボンヤ
リ考えているうちに、「頭で思う」という考えも面白いなと思
いました。
「頭で考える」のではなく、「頭で思う」。そして「心で思う」
のでなく「心で考える」です。
それ以来、私はそんな事をよく意識するようになりました。
何となくなのですが、もし人間が”頭で思い、心で考える”様に
したら、今より色々な事がまともになりそうだなぁと思ったか
らです。
心の目で見る事や考える事も、私達に出来るのかもしれません。
諦めないことが大切、キーンさんの笑顔が心に残った夜でした。
梅雨の早朝、昨夜の大雨でびっしょりになったテラスに出たら、今にも咲きそうなバラの蕾みが、水滴の重さで地面にペタリと首を垂れていました。このバラは、何度かこのブログでも書いた事があるのですが、寒い冬や暑い夏に何度か枯れそうになりながらも、ぎりぎり自力で乗り切って成長してきたタフなバラです。

雨粒に濡れてきれい。こんな肌だったらね!
何だか人間のようだと思ったのですが、数ヶ月前、このバラが初めて病気にかかってしまったので、他の葉っぱに広がらないように黒く変色してしまった葉を摘んでいたら、ほとんど全部の葉っぱがなくなって丸坊主に。。
本当に摘み取って良かったのか不安になっていたのに、ほんの数ヶ月の間に新しい枝や葉をどんどん茂らせて、また今年もきれいな蕾を付けたのでした!本当に凄いなぁと感心です。
もともと店頭で花が咲き終わり売れ残っていた淋しい苗だったのですが、こんなに強くてきれいな花を咲かせているなんて、お店の人もびっくりだと思う。植木鉢で育てているほんの小さなバラですが、私はとても尊敬しています!
ところで、花は早く摘み取ると、次々と新しい花を咲かせてくれるのだという事を知っていますか?私は初めてそれを知った時、咲き始めたばかりの花を摘み取るのはちょっと可哀想というか、もったいない感じがして放っておいたのですが、友人にお花をあげたくて一度花を摘んだ時に、その後に付いた花の勢いが違っていたので、とても面白いと思いました。
植物は種を残す為に花を咲かせるので、種が出来る前に早く花を摘むと、種を残そうとして沢山花を咲かせるのです。すべてには理由があるんだなと実感できて、面白いです。
そんなこんなで手塩にかけて育てているので、摘み取った花は特別で、いつもしみじみ観察してしまいます。その中でも、今朝のこの蕾はなんてきれいなのかとウットリしました。最上級のフレッシュな美しさ。可憐で素朴で、色っぽくて、瑞々しくて・・!こんな感じの美しい人になれたらなぁ〜。そんな事を思った朝でした。
ところで美しさというと、こんな風に植物を育てていて感じるのは、栄養分や水分をスプレーしてもあまり効果はなくて、それより、土の栄養や水分、それから日光や風などのあたり具合などが重要だという事です。人間も一緒なんだなと、しみじみ思うのです。何を食べて、どういう環境でどんな風に生活しているかという方が、やっぱり高い美容液よりグッと効果があるのだと思います。そういえば子供の頃はそんな事もしらずに、あやしいお菓子やジュースをバリボリ食べていたなぁ。大人になり、違いが分かるようになる事は素晴らしいですね〜。
なので美容で外側から出来る、大切な事の一つは紫外線対策ですね。ビタミンなどを摂取する事も大事ですが、これはまず外側から。でも日光にあたらないのは別の意味でとても不健康だし、つまらないし!
日焼け止めやファンデーションは、どうしても肌に負担がかかってしまう成分が入っていて、肌への優しさ、紫外線防止や質感優先など、いつもどちらかを優先するしかありませんでした。それを両立できる素敵なメークを最近見つけたので、紹介しますね。
MIMCというブランドで、界面活性剤や化学成分を一切含まない、天然ミネラルを中心に作られた、ミネラルメイクのコスメです。このサンスクリーンは肌に負担がかかるどころか、天然ミネラルのヒーリング効果もありつつSPF50で、パウダーなのでファンデーションの上からも塗り直しが可能なのです。これなら安心!
MIMCのメーク。左がパウダーファンデーション。スポンジが内蔵されていています。 右はスーパーミネラルパウダー・サンスクリーンSPF50。私はブラシでササッと。
ファンデーションは仕上がりに自然な艶がある方が好きで、今まで漢方が入ったリキッドファンデを乳液でちょっと薄めて使っていたので、パウダーはどうかなと思ったのですが、このミネラル・パウダーは仕上がりがとっても自然で、しっとりしてとっても気持ちいいです。なんだかパウダーじゃないみたい!サッパリとしっとりが同居してるかんじ。夏の普段使いによさそうです。とってもお勧めのブランドです。
これから夏本番ですね。日焼け止めをしっかりして太陽と一緒に遊びましょ!

2008.05.12
’70年代の女性アーティスト
先日、kurku kitchen(クルック キッチン)という素敵なレストランでお食事をしました。新鮮ですごく美味しい野菜やお肉を、薪や炭などを使って丁寧に作られた料理が頂けるお店で、2階には選りすぐりの生活雑貨や植物などを扱ったストアもあり、ついつい長く時間を過ごしてしまいそうな、とっても居心地の良いお店でした。
カゴが沢山おいてあるというストアが気になって、待ち合わせの時間よりも少し早く出向いたのですが、その隣にあるギャラリーでは、Alicia Bay Laurel(アリシア・ベイ・ローレル)さんという方の展覧会を開催していて、しかも今日は偶然そのオープニングで、これから彼女のミニライブがあるのだそう。
そんな話を聞いているうちに早速ライブは始まり、何だか吸い込まれるように彼女のギターの音に惹かれ、カゴを見に来たこともつい忘れて、レストランの予約の時間が来るまでぎりぎり、彼女の演奏に聴き入ってしまいました。
そんな偶然の機会でアリシアさんを知ったのですが、彼女の絵や演奏にちらりと触れただけでも何かとても興味深く感じたので、早くここに来てラッキーだったなぁと思いました。さっそく購入したCDに彼女のプロフィールを見つけたので、少し紹介しますね。
Alicia Bay Laurel ”music from living On the earth"
lアリシア・ベイ・ローレルさんは「地球の上に生きる」の著者で、1949年、ロスアンジェルス生まれ。ハイスクールを卒業すると、アメリカをヒッチハイクで旅して廻ったのち、北カリフォルニアにあるウィラーズ・ランチというコミューンに参加しました。
ウィラズ・ランチは、ランドスケープ・アーティストのビル・ヴィラーズが持つ森を舞台に、広大な土地に100人ほどが畑を作り、牛や馬、鳥を飼い、電気も水道もない中で自由な暮らしを行なっていたといいます。人や物を損なわないという考え方、そして非暴力主義の信条に同調できる人ならば、誰でも参加出来ると表明し、拒む事なく多くの人々を迎え入れたと同時に、もちろん暮らしは容易なことばかりではなかったとも伝えられています。
アリシアさんがこのウィラーズ・カンチで学んだ生活の知恵をまとめたものが、「地球の上に生きる」という本です。当初は新たにランチに参加する人のためのささやかな冊子だったものが、ヒッピーのバイブルといわれている「Whole Earth Catalogue」を創刊したスチュワートブランドの目にとまり、彼に紹介された出版社から刊行され、そして広く知られることとなったのだそう。自身の手書きによる文字と素朴な絵を、一冊のスケチブックにまとめたような装丁で、そうした趣向は日本での翻訳書においても守られています。

アリシア・ベイ・ローレル「地球の上に生きる」
私も購入した日本語翻訳書の帯には、「この本にしるされたことを、かたっぱしから自分の手で試したい、せめて試すことを夢見たい。それだけでも私の人生はきっと根本から変るだろう」という、谷川俊太郎さんのコピーがついていました。
ヒッピーのコミュニティーというと、ドラッグや宗教などが混ぜこぜになって段々よじれてしまったという様な、偏った70年代のイメージもあって、少し構えてしまうところがあるのですが、実際のところはどんな感じだったのかなぁと、初めて具体的に想像してみるきっかけになりました。アリシアさんの音楽や著書はとてもとても素朴で、優しくいい感じで、あっという間に惹かれてしまいました。
せっかくなので、アリシアさんの音楽にもつながるような2枚のアルバムを紹介しますね。Linda Perhacsの”Parallelograms” 、それから、Vashti Bunyanの”Just Another Diamond Day”です。2枚とも1970年にリリースされ、数年前に再びリリースされた女性アーティストの作品です。3枚とも大変素晴らしいので、良かったら聴いてみてくださいね。では!

左:Linda Perhacs”Parallelograms”
右: Vashti Bunyan”Just Another Diamond Day”
皆さんはコーヒー派とお茶派、どちらでしょうか?
イタリアンの後の濃いエスプレッソや、寒い野外で飲む甘いカフェオレは本当においしい!
でも、やっぱり私は断然、お茶派です。朝の目覚めから夜眠る前まで、一日に数種類のお茶を毎日飲んでいるからです。
アールグレイにジャスミン、ミント、ローズヒップ、緑茶、番茶やソバ茶、柿の葉、ウコン・・・気付くとすぐにお茶を買ってしまって、家に何種類位あるのか分からないくらいになってしまいます。
最近頂いたお茶で感動したのは、サンタ・マリア・ノヴェッラのハーブ・ティーで、
美味しさはもちろん、茶筒がリバティー模様ですごく可愛い!こんなに素敵なお茶筒はなかなか見つからないので、他の柄も揃えたいなと思っています。
さて、お茶といえばティーポットですが、これはお茶のように簡単に集める訳にはいきません。でも世界中には面白いポットが沢山あるので、時々お店やインターネットなどで探しては、ただ見つけるだけで何だか幸せな気分になります。
今憧れているポットは、Carol Mcnicholl作のものです。一見、簡単に触ってはいけないアートのような雰囲気がありますが、作者は普段使いをしてほしいと思い、作ったそう。こんなポットがテーブルの上にポンと無造作に置いてあったら、いつもの部屋が数段、素敵に見える事でしょう。
次は、CHINZ模様のアンティークのもの。これはイギリスのオークションで見つけたもので、途中まで参加していたのですが高くなりすぎて諦めたポットです。手書きの花柄がありそうでない感じ。これから夏に向かって、外でお茶するのが気持ち良い季節になっていきますが、こんなポットでお茶を入れたら本当に美味しそうです。

その他にも、木の上でのんびりしている黄色いライオンのポット(Roger Michel作)だとか、ホースの上に止まった赤い小鳥のポット(Tony Carter作)、小石を重ねたモチーフの不思議なポット(Barbara Frey作、作者も雰囲気がある方です)などなど、一目惚れしてしまうポットは多く、きりがありません。

ちなみに、探していると、たまにこんな凄いポットもあります。お湯が入れられないキルトのポットに、小ポットの噴水。ポットの植物。そして家のポット、ではなく、ポットの家まで!本気でポットにはまってしまったら、こんな事になるのでしょうか。それもまぁ呑気でいい感じ。。

最後に、私が愛用しているポットは、アメ釉が渋い土楽窯のものです。直火でグツグツとお茶と煎じる事も出来る、超質実剛健な土瓶です。頼もしい友達のようなポットです。

さてと。お茶でもしますか。
子供の頃、家で定期購読していた「暮らしの手帳」にお気に入りの連載がありました。ロシアの有名な教育者、ニキーチン夫妻の独特の子育てを綴ったものです。
ふと、それを思い出してインターネットで検索したところ、当時出版された著書が数冊見つかったので、取り寄せてみました。私自体も子供だった為、興味を持った部分などあまり定かではなかったのですが、20年以上も前の本だというのに、今読んでもまったく色褪せていない部分が多く、大変興味深かったです。
モスクワの郊外に住むニキーチン夫妻は、最初の子を育てるうちに、赤ん坊は世間で言われているよりずっと多くの事ができることに気が付きます。現代の過保護すぎる生活が人間の可能性を狭めているのでは・・と考えた夫妻は、当時の常識にとらわれずに、自由な発想で独自の育児を作り上げていきます。
例えば、家の中に運動具を取り付けて、ジムのようにロープにぶら下がったり飛び降りたり出来るようにしたり、工作台を置いて、大工道具や積み木、粘土やダンボール、また普通は危ないものだと思われるマッチや針なども遠ざけず、身短に置いて危険を教えたり。モスクアの雪降る寒い戸外に裸で連れ出して、体から湯気が出るほど遊ばせたり・・。
初め、世間はあまりに常識とはかけ離れた二人の育児法に驚き、猛烈な非難を浴びせるのですが、60年代につぎつぎに生まれた子供達が、正確もよく健康に聡明に育つにつれて観方を変えて行きます。当時、イデオロギーにとらわれない、説得力ある実証主義で多くの親達の共感を集めていた、子育ての記録書です。
当時のニキーチン婦人の母親日記も出版されていて、7人の子供が成人になり結婚をして自ら子供を持つようになった今、両親の育て方をどう思っているかなどのインタビューも載っているのですが、それもとても面白かったです。反面教師的な部分や受け継がれた部分、親子の絆などがとても素直に書かれていて、大きな家族の愛を感じる本でした。
子育てというものには完璧や理想的なものなどはなく、どれも一長一短でありながら、それでもやはり試行錯誤をかさね育てていく大切さ、を感じました。人間の可能性などを考えたりなど、子供がいない人が読んでも、十分に面白い本です。当時の私は10歳くらいだったと思うのですが、今記憶に残っている程、面白かったです。
人間の本当に大切な部分というのは何時の時代でも変わらず、やはり同じなのだと思います。ちなみに、昔の料理本を読むのも好きなのですが、それもやっぱり、“美味しい料理”はずっと色褪せず、昔も今も美味しいご飯はいっしょなんだと思うと幸せな気持ちになるからです!
カヒミカリィ
先日我が家に遊びに来た小さなお客は、
新しい漢字を作るのが趣味のチビッコ博士でした。
今日は日曜日。朝早く散歩に出かけると、まだ人影はなくて空気も静かなままです。ただ、この春の日差しと昨夜の雨に濡れて、どんどん成長していく近所の木々だけが、すっきり目を覚ましているような感じがします。
愛犬ゴメスが気に入っている、いくつかの散歩コースを毎日繰り返し歩いていると、無意識に気になる家や場所が出来るのですが、ただ本当に何となくなので、今まで写真を撮ろうと思った事がなかったのです。でも今朝は少し、そこら辺を意識してみながら歩くことにしました。
こうやって自分で撮った写真を観てみると、住人が大切にしていながらも何だか雑に育ってしまった、ちょっとはみ出し気味の植物とその家、のようなものが気になっているようです。
ガーデニングの写真集やインテリア雑誌の庭特集にはとうてい載りそうにもない、でも普通な感じでもない、この絶妙な感じが面白いなぁと思います。ぎりぎりバランスが取れていなくて、少しポンと押したら大変なことになりそうな雰囲気は、同時にのんきな風貌をしていて、ひとまとまりで見ていると、ちょっとした街角のトトロのようで、ざわざわと動き出しそう・・。
一本道を挟むと向こう側には見事な桜並木があって、足下に可愛らしいスイセンやスズランをたくさん飾り、満面(開)の笑みをたたえています。道行く人々を今日一日、楽しませてくれる事でしょう。それに引き換えこのモジャモジャ達は・・!
でも本当は皆気付いていないだけで、やっぱり桜よりも愛されているんだろうなぁと思いました。なくなってしまったら、きっとポツンと寂しくなってしまうような、ただの何気ない風景。
せっかく桜が満開なのに、今日も雨が降りそう・・そう思って空を見上げたら、たるんだ電線に小さな鳥が2羽寄り添っていました。そしてまた、なんだかいいな、と思いました。