キッチン

フードコーディネーター。逗子のカフェ「coya」をご主人とともに営む。『うちの週末ごはん 気分で決める、休みの日のメニュー91』(小学館)、『遅めの和ごはんと夜ふかしおやつ』(アスコム)など著書も多数。今年、男の子を出産。夏には友人と雑貨屋を開く予定で、育児に仕事に大忙しの毎日。
実家の裏にある雑木林。幼い頃の思い出のほとんどはこの林でつくられた、といっても過言ではない。
大人になった今、こうして目をつむると鮮明によみがえる雑木林の風景。見上げる高さのすすきと月見草のわさわさ生えてる野原。この季節のすすきの葉はきれいな緑色。ただ注意して歩かないと、その葉は鋭利な刃物くらいによく切れる。子どもの頃はそれでよくほっぺたを切った。
まるで中華ちまきみたいに葉を折り曲げて、緑色の蜘蛛が巣を作っている。葉っぱの先をひゅっと引っ張って、その巣を壊す遊びをよくした。身ぐるみはがされたみたいになった蜘蛛は、一目散に飛ぶように逃げる。
野苺摘みもこの季節ならでは。朝露に濡れながら、トゲに気をつけてそおっと実を摘む。摘んだ苺は母が砂糖と煮てジャムにしてくれる。それをパンに塗って食べる。たまに苺についた虫で、母が「ひゃ!」小さな悲鳴をあげていた。同じ苺でも大雨が降った後の苺の味は水っぽくて、なんだかすごく損をしたような気分になった。
つい先日、ひと足早い夏休みのような気分で出掛けた山陰地方。松江の宍道湖から日本海に抜ける山道沿いに、ルビーのようにきらめく野苺を見つけた。夢中で摘み取る子どもの姿はまるで、幼い頃の自分を見ているようだった。
「おいしい?」と聞くと、「おいしい」と答えた。それじゃわたしも一粒。猛烈に懐かしいその味。嬉しそうに次々と苺をほおばる子ども。「おいしい」という記憶が作られる現場を見たような、そんな気がした。

ツリーハウス、と呟いただけで、まるでおとぎの国の扉が開かれたような、そんな気分になる。そして思い出すのが、子どもの頃さんざ遊んだ、「こえだちゃんと木のおうち」。こえだちゃんの家は、ずばり「木」そのもの。葉がわんさか覆い茂っている木のお家には(って、実際はプラスティック製なんだけど)、ブランコがぶらさがっていたり、パーティルームがあったり、それはもうたのしさ満載の家なのだ。ありったけの想像力を注いだこえだちゃんの家。夢のすべてが詰まっていた。だからだろうか、わたしにとってツリーハウスは憧れそのものなのだ。
どうやらこのツリーハウス、インドネシアの小さな島、ブナケン島に建設予定らしい。というのは、この島そして周辺の地域を支援する目的で、ツリーハウスクリエーターの小林崇さんを中心に活動が行われる。
>>子供たちの笑顔と美しい珊瑚を守りたい!
ブナケン島エコプロジェクト
ある日、異国からやってきた人たちが、木の上にお家を作っちゃった。島の人にとって見れば、それはとてつもなく不思議な光景だろう、と思う。でもゆくゆくはその家が基地となり、たくさんの夢を生み出す場所になって欲しい。なんだかやっぱり絵本の世界のようでこっちまでわくわくしてきました。応援しています!

日曜日はいつも母ひとり子ふたりで過ごす。主人はもちろん店なので、世は家族サーヴィスデイでもうちは関係無し。
その日はえらく風が強くて、こんな天気に海なんて行ったら目に砂がざくざく入っちゃって大変だわーと、家でだらだらしていた。でも、うちの3歳児は家でゆっくり過ごすの「ゆ」の字もなく、「ねぇママーどっかいこーよー、どっかー」とシャツを引っ張る。
困ったときはバスに限る。行き先はもちろん佐島漁港。風は強いけれど、佐島は主に定置網だからあんまり関係ないかなぁ、と期待を抱き、バスの時刻表を確認。おっと!10分後。早く用意を済ませなきゃ。大慌てで下の子をおんぶし、3歳児をトイレに行かせ、バス停まで小走りした。難なく到着。
今日はのんびり魚を見よう。といっても、次のバスまで小1時間はある。そんなとき魚屋さんはさながら水族館。たこ、伊勢エビ、ウマズラハギ、石鯛、墨イカにヤリイカにスルメイカ、ほうぼう、かさご・・・・。3歳児は動く魚をちょちょっと触ってはしゃいでいる。それにしても、ほんとおいしそう。選ぶに選んで今日はコレ。太った鯖(〆鯖に)、小むつ(唐揚げに)、あさり(ボンゴレに)、イサキとヒラメの刺身(カルパッチョに)、小赤イカ(フリットに)、ヤリイカ(マリネに)。いつも買い過ぎて、そのうえ氷も入っているものだから、毎度の事ながらかなりの重さになってしまった。
まだバスまで時間があるので近くの定食屋さんでひと休み。生ビールと地魚の握り、鯖の唐揚げ。3歳児相手に昼から一杯引っかけた。いい調子でくつろいでたら「しまった!」バスの時間が迫っている。またまた大慌てでお会計を済ませてバス停へ。「あ・・・」先に見えるは京急バスの後ろ姿。タッチの差で行ってしまった後だった。「次のバスは・・・2時間後!?」ありえない、と身震いしそうになったが、わたしはこれでも二児の母。気を取り直し、「あるこーあるこーわたしはげんきー♪」と大通りまで歩くことにした。けっこう歩くけどなんとかなるでしょ。でも怪しい雲行き、ひと雨きそう。びゅーびゅー吹く風に背中を押され、黙々と歩いた。
そのときプップーと車のクラクションが。「おたくらさっきバス停にいたでしょ?バス乗り遅れた?」声を掛けてきたのは、まったく知らないおじさん。「乗ってきな」おー、そうきたか。このご時世そうホイホイと乗っていいのか、いいはずない。「いや、ご迷惑ですから歩きます」「逗子までだろ?いいよ暇だから」「あ、そうですか、あ、じゃ、お、お言葉に甘えて」と、わたしたち3人は後部座席に乗り込んだ。警戒心から、もしものときのシュミレーションをする。会話からおじさんの素性に探りを入れ、「佐島は実家なんです」とちょっとした嘘もついてみる。調べによるとおじさんは、佐島に土地を買ってそこにトレーラーハウスを置き毎週通っているんだそう。畑をやったりカヌーをしたり、漁師さんたちとも仲良くなって、今ではすっかりおじさんのトレーラーハウスが飲み会の会場になっているとか。
「昔さ、よくこの辺の海に子どもたちと来てさ、そのとき車持ってなくて、あんたたちのように1本バス逃してさ。そうなると次のバスがなかなか来ないんだよ。真夏の炎天下、えっちらおっちら子どもを抱っこして歩いてさ、したら地元の人が軽トラの荷台に乗れって言ってくれてさ、もうありがたくてありがたくて。それが未だに忘れられないってわけよ。だからあんたらみたいに子ども背負って手引いてたりするの見ると、無視出来ないんだよねぇ。」
そう言っておじさんは店まできちんと送ってくれて、その上すっかり車内で寝てしまった3歳児を抱っこして入り口まで運んでくれた。
疑っちゃったなぁ。見極めなんてなかなか出来ないけれど、なんだかなぁ。名前も名乗らずに颯爽と去って行ったおじさん。多分わたしがこの先できることは、この親切を他の誰かにリレーすること。改めて、おじさんありがとう。
GW、いかが過ごされましたか?
ETC1,000円で、遠くまで足を伸ばされた方もいらっしゃるかと思います。
わたしはあいにく車の運転にはめっぽう弱く、ほとんどペーパードライバーになりかけております。ギヤ車を自由に操られたりしたらなんて素敵なのかしら、と思いつつ、現実はきびしい。教習所でも、しっちゃかめっちゃかパニック状態でがたがたやっていたら、運良くギヤが入って坂道発信出来た、という具合で・・。理論分からずに、卒業してしまいました。おーこわい。
だからGWは、ひたすら自力で近所を巡りました。ありがたいことに、海も山も徒歩圏内で行けます。最近は、上の子3歳の足腰がたくましくなってきたので、山に向かうことも多いのです。
その日もいつものように裏山へ。てけてけ歩いていたら、新しい道を発見!どこにでるのかな?行ってみよう!と勇み足で進みました。到着したのは立派ないにしえの日本家屋。人の住む気配はなし。ひょいと覗いたら、裏手に階段発見!と、そこに小さな立て看板が。「これより先、傾斜がきついため健脚の方以外お断りします」的な内容。3歳児はへっちゃらな様子だったので、「行くしかないレッツゴー!」と健脚ぶって進みました。そうして階段を登ること20歩・・・。
背中にしょった赤ん坊が石のように重く感じ、足下がふらふらに。「ママ!海が見えるよ」と余裕の3歳児は振り返って「見て見て」と海を見ることを強制します。なんとか振り返ってみたら、すごい勾配。見なきゃよかったー、足がすくむー。四つん這いでぜーぜー言いながら登りきりました。もう、二度と行かない。久しぶりに、運動らしきことをしたせいか、いまだに節々が辛いです。そんなGW。自力もほどほどに。
写真は、そんな山歩きにぴったりのアイテム、背負子です。

インフォメーションです。
6月は、coyaにていろいろな催しものがあります。
まず3日は映画「六ヶ所村ラプソディ」の上映会です。ご存知の方も多いかと思いますが、青森の六ヶ所村の原子力発電の再処理工場を舞台としたドキュメンタリーです。監督は鎌仲ひとみさん。解説には熱くて賢くて行動力に富む(個人的な印象ですが、そんな素晴らしく魅力的な方です)冨田貴史さん(著書ブックレット「わたしにつながるいのちのために」)をお呼びしてお話を伺います。見ていない方は、この機会に是非。身近なエネルギーについて考えるいいきっかけになると思います。
7日は、小児科医の山田真さんのお話会です。わたしのアイドル、山田先生は、とってもまっすぐな視点を持つ方です。何度先生の本に助けられたことか。お父さんお母さんの心に確実に響くでしょう。主な著書に、「小児科に行く前に」、「子育て、みんな好きなようにやればいい」、共著「育育児典」他多数。
12日は、わたしもお世話になった助産院の院長、中田民子さんのお話会です。検診等でお会いする度に、いちいちうるうるきています。人の誕生を預かる職業、それを選んだ生き方に興味が沸きます。
お話してくださる皆さんは、常日頃、わたしが尊敬してやまない方々です。お話を聞くことによって、ほっとしたり、やさしくなれたり、勇気をもらったり、そんなポジティブな力が湧いてくるような、そんな気がします。
各イベントとも、詳しくはcoya.jpに記します。
予約が必要なので、ご希望の方はお早めにどうぞ。

下の子の泣き方は、それはそれは激しい。
まだ9ヶ月なので言葉はしゃべらないが、おおよそ訳したらこんなふうだろう。
「もう、いいかげんにしてよ!ふざけんじゃないわよ!いつまでここにいさせるつもりなのよ!訴えてやる!ちきしょー!にゃろー!」いちいちエクスクラメーションマーク付き。聞く人が聞いたら、「虐待しているのかしら」と勘違いされそう。どれくらいすごいかって、それはまるで、映画「ブリキの太鼓」の主人公の男の子並み。
彼の泣き声の激しさに、泣くとまわりの物が次々とこっぱみじんに壊れてしまう。いちにち数回、我が家のブリキの太鼓が始まると、何をしていても一時中断。「いざ、ここまで」と重い腰をあげ、涙をぼろぼろ流している娘を抱き上げる。抱き上げたらピタッ、と泣き止み、もう嘘みたいに笑顔できゃっきゃ言っている。しばらくご機嫌を取り、「もういいかなぁ」と、おそるおそるそっと布団に置く。「あ”ーーーーーーーーぎゃー!!!!ざけんじゃないわよ!」トホホ、まだだった・・・。
再び抱き上げゆらゆら揺すり、いい加減に腕がしんどくなったら、ごろんとわたしも布団に転がり無理矢理添い寝。気がついたら自分もすっかり寝てしまってた始末。やらなくてはならないこと山積みなのに、くー(涙)。
上の息子は反対にほとんど泣かなかった。たまに泣いても、何かしらの理由があって(熱があったり)その結果、泣いたにすぎない。下の子、娘が産まれたとき、まわりから「女の子は手がかからないよー」と言われ、内心「息子にこれだけ手がかからなかったのに、下は女の子だからもっと手がかからないのかしら、ラッキー!」と思っていただけに、ショックは大きい。そうは問屋が卸さない。
世の中、うまく出来ているな。老後の愉しみは、この泣きっぷりを肴に、成人した娘とお酒を酌み交わす事。気が早い?

もやしのひげ根、どうしていますか?わたしは、絶対に取ります。取る暇がなかったら買わない。なので、最近もやしを食べていない、っていかがなものか・・・。
先日仕事で一緒になった、フリーのライターの女性は、冷蔵庫に豆もやしが入っていないと落ち着かない、と言っていた。そのときは、「そんなに好きなのね」くらいしか思わなかったけれど、その彼女の発言がきっかけで、今こうして久々にもやしのひげ根を取り除いていると、彼女は単純に「もやし好き」というわけではないかも、と思ってしまった。
なぜならば、もやしの下拵えをしているときの気持ちは座禅にも似た、なんというか「無」の境地だからだ。ただ黙々と手を動かし、細い根をぷちっぷちっ、と爪の先で切る。だんだんにたまっていく、薄汚れた先っぽ。それとは対照的な清らかな白い芽。
ライターという職業は、言葉の森の住民だ。常に言葉に取り巻かれている暮らしのなかで、もやしのひげ根取りという行為は、唯一頭を空っぽに出来るときなのかもしれない。ひげ根を取ることによって、バランスを保っているのかもしれない。勝手な憶測だけれど、案外それに近い理由だったり。
こうして下拵えされた豆もやし。さっと茹でて粗塩とちょっとの醤油とおろしにんにく、たっぷりのごま油で和えて、定番のナムルに仕上げた。「次はいつ、もやしを食べられるのだろう」と思うと、情けない。

バオバブの木のことは、あの奇妙な形でぼんやり知ってはいたけれど、じっくりと見たのはきっと初めてかも知れない。
映画「バオバブの記憶」の冒頭シーン は、モノクロで撮られたバオバブの木が連続して幾枚も出てくる。針葉樹で慣れている那須出身の私には、これを木と呼ぶにはやはりあまりにも生々しい。それはまるで天に向けた手の平のような枝だったり、突起した幹のこぶだったり、見れば見る程人間の形に似た、まるで動物のような巨木だった。映画は、このバオバブに寄り添うように暮らす、セネガルの小さな村が舞台。主人公の少年は、大家族の担い手として労働の日々を送っている。かたや妹や友だちが楽しそうに学校へ向かう姿を目で追いながら、でも自分のおかれている立場を考えると、とても「学校に行きたい」などとは言えない。
彼が想い描く「学校」はきっと、現実離れした夢の世界への入り口なのかも知れない。学を得れば世界に飛び立てる。そしてお金もいっぱいもらえる。豊かさの象徴「学校」へ憧れる、貧しい村の少年・・・、それはほんとに「貧しい」のか?。こうした疑問が沸くのは、どうしても払拭できない未来に対する不安が常につきまとうから。
利便性や金銭的な視点からしか見ていない「豊かさ」に限界を感じているから。果たして今の自分は豊かなのか?バオバブの葉を、杵と臼でえんえんと突き粉にする作業。バオバブに宿る精霊を信じる気持ち。大地に繋がるバオバブの恵みを受けて、慎ましく暮らす村人たち。
けたたましくクラクションを鳴らす車が絶えない産業道路脇では、開発で切り倒されたバオバブの屍が、静かに訴える。
「どういう未来がお好みですか?」と。

わたしの地元、那須高原の名所「南ヶ丘牧場」は、いつ行ってもたのしい。
子どもの頃から馴染みのある、思い出の詰まった場所。はじめてピロシキを食べたのも、ロバにまたがったのも、パターゴルフをしたのもここ。入場料 がタダなので、両親はわたしと妹をよく連れて行ってくれた。ここでかならず食べるのがソフトクリーム。濃厚なバターの風味。家族全員1個ずつ食べる。もう 何十年通っているんだろう、ついこの間もふらふらと行って、息子を初ロバにのせてみた。素朴なロバの背に3歳児、そして還暦の父がつなを引き歩く。なんともいえない感じ。父は「孫ってかわいいな」と言っていた。
牧場には羊や山羊、馬に牛、うさぎ、虹鱒、チョウザメ・・・様々な生き物たちがいる。なかでも足がやけに太い、まるでレッグウォーマーをしてい るような巨大な馬は、いつ見ても「おおー!」と声をあげてしまう。ロバを見たら「かわいい!かわいい!うちで飼おう!」とねだるのもお約束だ。見渡す限りの山の連なりと、芝の続く牧歌的な風景にこころほどける。どうってことはないのだけれど、つい足が向いてしまう場所。そういう場所にわたしは弱い。

またまた原発の話しです。
よく「原発ってこわいよね」と話しをすると、「でも、電気がないと困るじゃん、実際」と言われることが多々ある。まさにその通り。電気様々だ、現実問題。
でもその前に「ゲンパツ」という言葉自体が、なんだかおどろおどろしく触れちゃいけないもの、タブーの象徴のような印象を受ける。それでもわたしは懲りず「ねぇねえ、六ヶ所村再処理工場の近くで活断層が見つかったらしいよ」とか、「高レベル廃液っていう、一瞬で死んじゃうような猛毒が漏れちゃって、まだ全部回収されてないんだって。って、誰が回収してるの?」とか、「放射能を海や空に流しているっていったいどういうこと?」とか、割と普通の会話 として話している。
だって、電気をつかうこと自体、超日常なのに、電気が作られる方法(過程)のこととなると、なんとなくぼんやりするってどういうことだろう。電気もいろいろ選べたらいいのになぁ、と思いませんか? 「うちは地熱発電会社から電気を分けてもらっているよ」とか「うちは風力だよ」とか。 「えー!まだ電気使っているの?うちは非電化生活だよ」なんていう家も出てくるかも知れない。
非電化と言えば、栃木県那須に住む発明家、藤村靖之さんは、 その筋のスペシャリスト。HPを開くと、夢のような電気のない、それでいて豊かな暮らしが伺えます。彼の発明品の非電化除湿器をこの間、購入してみました。湿気の多い時期が、今からたのしみになるようなアイテム。
