どういうわけか、私と夫の家系双方、建築に関する仕事に携わっている人が結構います。なので、「住まい」というものを考える時、ハードである家そのものに始まり、どう住むかと、家具などのソフトに関してまで、一度話し始めると暇がありません。果ては双方の国の違いから始まって、欧米、アジア、アラブの文化論、都市論にまで発展することもしばしば。そんな、ちょっとしたお遊びみたいなやりとりが、会話のやりとりに、しばしばでてきます。
そんなわけで、住まい、というキーワードを持ってくると、気ままなおしゃべりの延長のように、とりとめの無く書いてしまいそうなので、今回は、自分の住まいのことでも、書き留めてみようと思います。
うちは貸家です。そりゃもちろん、お金の問題と言ってしまえばそれまでですが、メリットもありますよ。
その時、その時で仕事も家族など状況が変化しやすい、私たちの生活に対応していくには、賃貸のほうが便利、ということに尽きます。今、住んでいるこの湘南の家も、私たちにとっては途方もない、目玉の飛び出そうな購入額ですが、そういう家が、賃貸だからこそ借りられる訳です。買う事から生まれる、他のストレスを感じないで済みますし。至ってシンプルです。
私は夫と一緒に暮らし始めてからも、そういう二人の観点から、何を優先させるかを考えて、住まいを選んできました。
私の仕事が最優先で、自転車で渋谷に行ける距離に住んでいたときは、とてもこじんまりとした2DKマンションでした。それも古く大きなマンションだったので、外国人の友人が、「モスクワのマンションみたいでステキ!」と、名言(?)を残して行ったのを覚えています。
すでに家は投資の対象でもなくなっていますから、ただ支払う一方のお金がもったいないとも思えません。そう、私たちがお互いにラッキーだったのは、その家に対する価値観、優先順位、また、細かいディテールにまで、何がよくて何が悪いかという許容範囲が、割と似ているというところ。
今の家も、私たちにはちょっと贅沢ですが、他に使うお金を回してでも、十分意味があると思って決めました。
ちなみにこの家は、タイトルどおり、築40年の和風の木造建築です。庭は建物以上の広さ。こういう、純和風の家に一度住んでみたかった夫は、ご近所の雰囲気のよさで、駅から物件までの道のりでまず気分が盛り上がったところに、その趣きある、落ち着いた佇まいを目の当たりにして、すっかり惚れこみ、即決してしまいました。私も和風建築には憧れがあるものの、実際住みこなすには、ちょっと難しいんじゃないか…と思いながらも。
 |  | (左)玄関脇の、目隠しのディテールがおもしろい/(右)階段の上から。ランプシェードは紙に変えました |
 トイレもガラス戸です。洗面の蛇口が銅製、長年使う事で、飴色になって美しい |
 ベッドルーム。奥のガラス戸は作り付けです |
さあ、引っ越してみて、いろんなことがわかりました。実際、身長185センチのドイツ人の夫、あらゆるところで頭をゴンゴンぶつけます。もう日本では慣れた事と甘く見ていましたが、鴨居が低い。そしてキッチンや洗面台も低くて、つねに前屈みです。ちなみに私は161センチ、それでも低いと思うくらいですから。でも、こどもが自分で手を洗うには、踏み台ひとつでうまく使えて便利ですけどね。
そして、そのような造りに加えて、ライフスタイルの違いも加わります。この家は数年前に床暖房を入れたそうで、一階はフローリングになっていますが、2階は畳、そしてボロボロ落ちる土壁です。私たちはベッドを使いたい。ふとんはそれだけで結構スペースをとり、押し入れもすぐにいっぱいになってしまうのです。ベッドは今、畳を痛めないように、住宅展示場の中古インテリアショップで太い木材を見つけてきて、それを土台にマットレスを入れて解決。
また、彼のOA機器満載のオフィスも、どうしてもこどもの手の届かないところとなると、2階に移すしかなくなりました。けれど、これまた、畳です。一応、畳屋さんに相談して、これまでの経験と同じく、防ダニマットを敷いて、その上にベニヤ、さらにフローリングマットを敷く事にしました。
そしてキッチン。本来は6帖あるキッチンにテーブルを置いて、リビングを二部屋に振り分けていたのでしょうが、キッチンは土間や収納庫、そしてバスルームにもつながっているために、お客さんが来ると、ちょっと落ち着けない。私たちはゆっくり食事をしたくて、リビングをひとつに開放し、片方の部屋部分に大きなテーブルを置く事にしました。あ、このリビングも和室ですから障子。当然、娘はおもしろがってビリビリ破いては喜んでいましたが、最近では興味も失せたようでラッキーです。
 床の間は、電話やプリンターなどでミニオフィスに。ソフトクリームは、夫が買って来たお店の宣伝用。大きいんですけど… |
 オフィス。押し入れの中は、ほとんどファイル |
私のオフィスはもとより、子供部屋をとるスペースは既になし。今は、作業場となっている、庭に面したサンルームが、いずれ活躍することでしょう。
まだまだ進行中ですけど、やっとこさっとこ形ができつつあります。部屋を作って行く上でいちばん難しかったのは、この家には、ほとんど使える壁がないことです。夏の暑さと、湿気対策なのでしょう。東西南北が窓、窓、窓。そして壁があってもそこは押し入れや、引き戸が来るスペースなので、壁を必要とする、キャビネットや本棚が置けません。普段使わない本は、ナンバリングして箱のまま、収納することになりました。キッチン道具も同じく。致し方ありません。また、引き戸が多いという事は、敷居が多く、けつまずくことこの上ない。掃除も、掃除機よりも、箒をうまく使う方がよいとわかりました。
また冬を越してわかったこと。よく北海道の人が、東京は寒いというのと同じでしょう。今の個人住宅は、すぐれた防火断熱材が入っているのでしょうが、昔ながらのドイツの壁の厚さと二重窓と比べると、その防音性、保温性の違いには驚きすらありました。
ライフスタイルが和風とかけ離れ、しかもLAから引っ越して来た私たちには、やっぱり理想と現実の壁に、うーむと腕を組む事しかり。でもまあ、初めからわかっていたこと、これも楽しい経験ということで、落ち着いています。窓が多いおかげで耐震性はちょっと不安が残るものの、北向きでも明るかったりします。当然風通しもよく、この夏はクーラーなしで過ごせるかもしれません。また、電気のコンセントがあちこちにちゃんとあり、その容量も大きく取れることは、大きなポイントでした。そして全体を見渡せば、一目ボレするには十分な、美しい部分がたくさんあるのです。その奥行きの開放感や昔ながらの模様ガラスのおもしろさ。柱を活かした木のディテールなどなど。こういうところは、利便性を後回しにさせるくらいの底力をもっています。
 写真を撮っている位置と、写っている部屋それぞれを開放して使っています。左手はキッチンなど、手前がダイニング、右手がリビング |
 そのリビング。右手はサンルーム。部屋に合わせてサイズを決めたソファーは、結局夫に小さくて、これから買い替える事に |
と、ここでまた、なんとか使いこなせて来たところで、これまた気になるのが、ごく小さなデザインの違和感。純和風といっても、結局は和風と現代の欧米のデザインスタイルが混在しています。いいとこどりできれば、それは理想ですが、視覚的な面では、これこそが一番やっかい。
ありとあらゆる部屋に、障子の上にはアルミのカーテンレールが付いていました。さらにその奥にブラインドのレールもあったり。電気のスイッチパネルも各部屋がバラバラ。リビングのドアの取っ手や階段のランプシェードだけがいやにゴージャス。玄関のドアは頑強なアルミ製。などなど。エアコンがガスなので、ニューッと伸びる配管パイプがないだけよかった。しかしあの処置はいったいなんで進化しないんでしょうね。細かいと言ってしまえば、それまでですが、こういうところでこそ、全体の統一感が相当壊されてしまうのを実感しています。
温泉などの旅館に泊まっとき、たとえそこが質素なところであっても、ああ、落ち着くなあ、と感じるとき、その部屋の建材が、昔ながらに木と鉄だったりします。人が憩う場所の場合、そこにプラスチックやアルミが出てくると、一気に風情が消されてしまうのです。これって、別にケミカル素材がいけないと言う訳ではありませんが、まだまだ、その機能のみに終始している気がします。オフィスビルで使えるからといって、住まいにそのままもってくるのはいただけません。そこには目的の大きな差があるはずです。そして、私たちのような使い手には、実際なかなか選択余地も少ないような。
表立たないところにだけ使うとか、あるいは、もっと質感のよいものがないのでしょうか。海外の住まいに訪れてみて、古びているのに、それが汚く見えないのは、なぜだろうと疑問にもっていたのですが、つまりはそういうことなのだと思います。古いのと汚いのは違う。はじめから古くなって当たり前、と素材を選んでいるのでしょう。そしてそのための修復も当たり前と。欧米、特にドイツに限らず、ヨーロッパでその意識が強く、素材へのこだわりを感じる事がしばしば。
でも、このスタイルと素材が混在したコンプレックス型、日本だけでなく、私が知る限り、韓国や台湾などでもそうでした。East meets west.なんて言いますが、つまり、気候などの条件、文化の背景が違うところでは、そうなりやすいのでしょうし、やはり長年の伝統を急に現代化することは、何でも簡単ではないようです。特に日本では、着物から洋服へ、床座りから椅子へ、陰影から光の家へと、大きく変化を遂げてからずいぶん経ちます。トーンを同調させ、うまい接点を見つけ、それをアドバイスできるプロが、必要とする人のごくごく身近にいても、いい気がするのですが。
ところで。この家は大家さんが戻ってくるまでの定期借家ということで、5年後には引っ越すことが確実になっています。そのとき、どこか実際に家を買うのでしょうか。って、これじゃ人ごとみたいな…。
どんなに文句を言っても、やっぱり東京が大好きな私。実際、LAに住んでみての、楽しいさと隣り合わせの、ストレスの思い出を振り返り、ここはラクでいいなあと日々しみじみしています。けれど、将来的に製作場所となるスタジオを含めて、理想に近い家を手に入れるのには、やっぱり無理があるのかな、と思う時、ふと、美術に携わる上でも多いに魅力ある、ドイツという国が頭をかすめていきます。
けれど、いくら家が人生に大きな意味を締めるにしても、「住まい」という意味が大事で、まずは何がそこでできるかの方がポイントなんだし。それにドイツ語はまだ始めたばかりだしなあ、どう仕事するかなあ、納豆も冷凍ばかりになるなあ、でも娘はどっちの学校に行く?やっぱり、その人生、振り返って山あり、谷ありの方が、真っ平らよりもいいよね、飽きないし。
と、いちいち言い訳付けては、「家」という言葉ひとつで、思いがブンブン揺れる心です。